みなさんこんにちは。
熊野市駅前校Principalの美ノ谷泰孝です。
世界を見ると、一つの国が一つの国を侵攻し、
苦しんでいる人たちがいます。
また、観光や行楽中に不慮の事故で早世されたり、
未だご家族のもとへ帰れない人たちもいます。
人生は楽しい思い出ばかりだといいのですが、
いつ困難が訪れるかもしれません。
常に起こりうるリスクをマネジメントし、
日々の備えを万全に行いたいものです。
さて、この4月から新生活をスタートし、自炊を始めた方も多いのではないでしょうか。
自分のお金で食材を買い、
自分1人で調理して盛り付け、
「いただきます」と掌を合わせたとき、
「自分で作った食事なのに誰にいただきますしてるんだろう?」と思った人がいるかもしれません。
私たちは1人では生きていけません。
食事も衣服も、自分以外の他の多くの人・多くのモノと互いに支えあって生きているのです。
この「いただきます」の習慣はそれらとの深い結びつき(縁)を受け止めるという「感謝」のことばです。
支えあっているのですから、こちらからの発信つまり他のために尽くすという行為がなくては成り立ちません。
それが回り巡って自分自身に還ってくる。つまり他のために尽くすことが、そのまま自分を助けることとなるのです。
自分1人の利に駆られて他を害するなど、結果的にはご自身を傷つけることになるのです。
利他の精神で生きる。
この考えが万人にあれば、
まわりを傷つけること、そして、ご自分に還ってくることはないでしょう。
世の中には食べることができずに苦しんでいる人がいます。
我々現世の人間は、衣を着なければ風が身にしみて寒く、
また食べなければ命を持ちがたいです。
それはまさに、灯に油をつがず、火を燃やすに薪を加えないようなもので、
どうして命をつなぐことができましょうか。
命が続ぎがたく、しかも続ぐべき力となる食料が絶えてしまっては、
あるいは一日から五日と続くと、生きる気力も絶えてしまうでしょう。
食事の時の「いただきます」
大切にしたいものです。
熊野市駅前校Principal 美ノ谷泰孝